ヒット曲を知っている程度の薄いファンで、もっているCDは「COVERS」だけだったりするけど、自転車生活を始めてからはいつも気になって、その活動を追っていた。ガンであることが公表されてからも、再発が報じられてからも、できるだけ長いこと共存していただきたいと思っていたのだが、本当に残念だ。
最後にTVで見たのは、再発報道直後の「徹子の部屋」。清志郎さんはほとんどしゃべらず、言葉少なにうなずく程度で、痛々しくて見ていられないほどだった。今の時代、ガンであることがわかってもそんなに簡単には死なないが、「再発」という単語には重い重い意味があるから……。
自転車好きの清志郎さんには、自転車をテーマにした曲もある。同名の著書もある「サイクリング・ブルース」はじっくり聞かせる名曲だし、「茄子 アンダルシアの夏」のエンディングテーマ「自転車ショー歌」はさまざまなメーカーの名をダジャレ的で組み込んだ楽しい歌詞が印象的だった。
160万円の「オレンジ号」が盗難にあったときは大きく報道されたし、おかげで「スポーツ自転車は高いもの」という認識が広まったようにも思う。清志郎さんは、マイナーだったスポーツ自転車という趣味の認知度を大きく高めてくれた功労者だったのだ。
多摩地区に暮らす私にとっては、地域をネタにした身近な曲も忘れられない。国立にある「多摩蘭坂」にはわざわざ行ってみたのだが、ママチャリでも登れるような坂で「たまらん」と言うほどではなくて、ちょっとガッカリしたりね(交通量が意外と多くて、写真が撮れなかったのが残念)。
そういえば、独身時代にダンナのクルマに乗ったら、RCサクセションのベスト盤(カセットテープの時代でした(笑))がかかっていたこともあった……というのはたった今思い出した(笑)。気がついたら、身近なあちこちに彼の声があったのだった。
58歳というのはあまりにもお若い。完治することはなくても、しぶとくガンと共存して歌いつづけてほしかった。まだ「ご冥福をお祈り」する気にもなれず、ただただ残念という気持ちでいっぱいだ。

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